大阪にお見舞い向うはずの月曜早朝、
病院から叔母(父の姉83歳)が亡くなったと連絡が。
足の弱い父は動けず、私が母を連れて、大阪へ。
病院も叔母の住まいも梅田からワンメーターの街中で、
便利とはいえ、田舎者には、戸惑うことばかりの中、
病院から早く来いとさらに電話が。
自己記録的長文につき、続きはMOREにて。
病院に着くと、病室のあった10階にまず走り、
そこで、若い医者2名に頭を下げられ、
その横から看護師さんに、早く遺体を運んでほしいと…
ここで、既に母はもう倒れかかる。
私が葬儀社を選んで電話、引き取りをお願いするやら、
病院の支払い請求書の宛先を伝えるやら。
それから、やっと地下の霊安室で、おばちゃんに…
その1時間後には、葬儀社からお迎えが。
そのまま私と母も一緒に葬儀社に移動。
葬儀屋に到着後は、通夜、葬儀、火葬の打ち合わせが、どんどん…
おばちゃんは、今も現役でお仕事していて、つい最近まで、
幼児教育の本を書いたり、教材を開発したり、全国で講演したり。
まだまだやりたいこといっぱいだったらしく、
途中になってる執筆などもまだまだあったみたい。
今年もらった年賀状にも、
「新しいことを学べることに、毎日とってもワクワクしてます」
と書いてあったくらい。
お仕事関係の方々もたくさん来られたけど、皆さん初めての方ばかり。
おばちゃんの残したメモには、延命治療をするなとか、
お世話になったお医者さんには、よくお礼を言ってくれとか、
亡くなったときは、家族だけで…などと残してあったので、
会社関係の方々には、それを見てもらって、
今回はできるだけ、ひっそりとした式にしてもらうよう納得して頂くことに。
6月に改めて、おばちゃんを偲ぶ会的な式を、会社の方で行なうという段取りで、
今回は、なんとかこじんまりと行なうことができた。
新大阪のガーデンパレスというところで行うらしい。
おばちゃんて、かなりすごい先生だったみたい。
父は、3人兄弟。
今回亡くなった伯母さん(83歳)と、父(80歳)、叔父さん(千葉在住77歳)
叔父さんは、3年前に奥さんと娘さんを続けて亡くしてる。
お通夜には、千葉の叔父さん、お葬式には、その娘さんも東京から。
一通りのことを終え、お骨を抱えて、母と二人、サンダーバードに乗り、武生に。
実家の仏壇に入れて、父にいろいろ報告。
途中何回も倒れかけた母もなんとか頑張った。
私も初めてのことばかりで、疲れと緊張で、未だふらふら。
世間が動かないGW中に自分の仕事もなんとかしないと。
そして、おばちゃんのプライベートなことも、お仕事関係のことも、
まだまだ、いっぱいやることが残ってるので、
あと何回か、大阪に行くことになりそう。
初めてお会いした出版社関係の方々、
たくさんの素敵な人たちに囲まれていて、
おばちゃん、最期まで大好きな仕事に打ち込めて、
幸せな人生だったんだろうと想像できた。
いつも賑やかで、人に振る舞うのが大好きなおばちゃん。
ひとり暮らしでも皆に慕われて淋しくなかったと思いたい。
おばちゃん、ありがとう。