思い出した!
バブリーな頃、いちばんカラオケで歌ってたのは明菜だった。

武生の某大企業が合わなくて辞め、訳ありで、福井市の小さな会社へ。
その会社は、当時大ブームのレーザーディスクカラオケを売っていた。
客先は、片町界隈が多く、
仕事が終わると、社長や営業さんに連れて行かれて、カラオケを歌わされた。
夜の世界の営業さん達は、かなりドロドロしたお付き合いをしていて、
純情な私はびっくりすることばっかりだった。
そんな私に、社長からのリクエストはなぜかいつも『DESIRE』(笑)

私は、経理を担当、毎月の接待費は、すごいものだった。
その会社では、いろんな社会勉強をさせてもらった気がする。
そして、もうとっくに、その会社はない…
不思議な人たち、不思議な時代だった。

超久しぶりに明菜を聴いたら、バブリーな時代を思い出した。
今度、代理ボーカルをすることになったのだが、
なじみのない曲ばかりで、どうしようと思っていたところ、曲変更で、明菜が。
それも歌ったことない曲だけど、アナ雪よりはイメージつかめそうな…(笑)

てか、ギター弾かずに歌うなんて初めてで、反対になんか怖い。
今まで、下手なギターを盾に自己防衛してたのかも…
ご声援よろしくお願いします!

バブリーな頃” に対して2件のコメントがあります。

  1. こーいち より:

    ゲラっ ゲラっ ゲラっ バーニん ハー〜 ですね!

    レリゴー レリゴー も同じやうなもんでしょ!

    当時女性陣が歌わされていたのはウインクの「淋しい熱帯魚」と
    BaBeの「give me up」でした。クラブじゃなくデスコ全盛で
    男もDCブランドスーツで上司やお客さんから嫌味言われていたのが
    懐かしいです。

    ※また古いネタに書き込んでしまいました!

    1. cerise より:

      > こーいちさん 

      はい、大正解!いつもありがとうございます。

      時代は、ディスコでしたねー
      福井にもありました、懐かしいですね。

      DCブランドという言葉もすっかり聞かなくなりました。
      こーいちさんもその路線にいたんでしょうね^^

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